今日はへこんだ。河南中学希望者なし!

今回のコンサートでは、河南中学と千早赤阪中学の吹奏楽部の生徒を招待しようと思っていた。千早赤阪村はくすのきホールがある地元。河南中学は私の母校。そのために、千早赤阪村と河南町の教育委員会の後援もとった。そして、この計画については、両校に以前から打診をしていた。全員に強制はできないにしても、希望者を募って、と考えていた。
 そして今日、河南中学に出向いたのは、生徒たちにSwingMASAと言ってもどんな人か知らないだろうし、ジャズサックスと言ってもどんな音楽かわからないかもしれない。そう思い、希望者を募る前に、クラブ活動の時間にでも、少しだけ、私の演奏を聴いてもらう時間を作ってもらおうと思ってのことだった。ところが行くなり「希望する子はいませんでした」と言われた。そして710日に大阪芸術大学との合同演奏会があり、その練習で手一杯でとてもそんなことまでできませんと。招待するなら、校区外に行くのだから、送り迎えのことも考えてくれと言われて、バスの手配までしたのに・・・・・。

 残念だった。私がジャズを始めた頃、日本では女性のジャズシンガーはいても、女性のジャズサックス奏者はいなかった。サックスだけでない。女性のドラマーも女性のパーカッション奏者も女性のベーシストもいなかった。どこかにいたのかもしれないけど、中学生や高校生の私に見えるところにはいなかった。
 ジャズサックス奏者を志したときも友人たちは応援してくれたが、家族や地元に応援してもらったという感じはしなかった。これは女性のプレイヤー皆が経験していること。コンクールで入賞しようが、大舞台で演奏しようが、そのことを寿いでもらったことも、名誉のこととして語ってもらったこともない。どちらかというと、「あの子にも困ったものだね」扱いであった。
 
 そんな中でも音楽をやり続けてきた Swing MASA Osaka Jazz Womyns の面々を子どもたち、特に女の子たちに紹介したかった。自分たちの先を行く女性たちがいることを、中学から音楽を始めた私が、メジャーとは言いがたいが、世界で演奏ができるプレイヤーになっていることを知ってもらいたかった。

 吹奏楽部に子どもが所属しているお母さんに、子どものクラブの時間に演奏しに来てやってよ、と以前に言われていたので、喜んでもらえると思っていたのだが、どうもそうでもなかったようだ。若干だが、「どこの馬の骨」扱いされたような・・・・。やっぱ有名にならなければダメだなとつくづく感じた。いい演奏をしていて、応援してくれる人がいても、世間的に無名だと、「ナニカ?」的扱いをされてしまうんだということをしみじみ感じた。でも母校なのにな。

仲俣先生!私のこと、母校でも宣伝しておいてくださいよ、と言いたくなった。仲俣先生というのは、私が吹奏楽部に所属していたときの先生。今は引退していらっしゃる。クラブ活動メインの先生だった。この先生の指導のもと、大阪シンフォニー交響楽団の指揮者だった牧村邦彦さん、そして私というプロの音楽家が育っている。そう、私プロなんだけどな。ホント、今日はへこんでしまった。このブログで書いてもしょうがないけど、河南中学の吹奏楽部の生徒さん、お父さん、お母さんといらっしゃいよ。中学生は招待しますから。

あ、念のため、千早赤阪中学はとても喜んでくれました。

河南中学の案がつぶれたから、高校にでも声をかけようかな。でも高校は管轄が府なんだよね。

ま、気持ち立て直して、明日からまた頑張ります。